1300年の歴史を受け継ぎ、今、きものは世界から注目されている民族衣装です。
素晴らしい染や織の施された多種多様なきものを作り上げる技・知識を兼ね備えたのが高度専門士、すなわちプロ和裁士です。 本物の着物を仕立てる、本当のチカラを持つきもののプロとして活躍できる人を社会に送り出すことを目的として、共に人格形成を教育しているのが「奈良きもの芸術専門学校です。
創設以来、きもの一筋に古い歴史を伝え、新しいことを創造し、伝統ある文化を後世に伝えていきたいと心より願っています。そして、意欲ある若い人たちと一緒に勉強できることを嬉しく思っています。
きものは国の宝物です。また、若い人たちもかけがえのない国の宝です。私はこの国の宝である若い人たちを大切にし、将来、大きく羽ばたいてくれることを願い、力を注いで教育しています。
もっとも重要な物から順に1~3の数字を付けています。
つまり、着た方に喜んでいただける、美しく着やすい着物であることが第一。和裁の技術は一生物です。初めからスピードばかりを求めて学習するのではなく、どこに出しても恥ずかしくない、プロ仕立ての着物を仕上げることができるように指導しています。
和裁技術だけでなく、豊かな人間性を育むには、教育環境も大切な要素です。
そこで奈良きものでは、広くて清潔な和裁教室はもちろん、お茶室、多目的ルームまで完備。
これほど充実した施設をもつ着物の専門学校は、全国でもきっと少ないはずです。
昭和3年 | 和服裁縫専門学院を設立。 |
---|---|
昭和24年 | 奈良県知事の公認を受け、名実ともに県下一の和服裁縫専門学院としての本務を遂行。 長い伝統と絶えざる研鑽をもとに、最も適切かつ画期的な和裁の指導に尽力する。 |
昭和34年 | 校舎改築と同時に新たに洋裁部を併設する。女性としての教養を深めるため、茶道・華道・手芸をカリキュラムに導入。 |
昭和35年 | 鉄筋3階建ての新校舎を建設し、教室を拡充。 |
昭和39年 | 1月、法人の認可を受け、校名も、学校法人吉川学園、吉川服飾専門学校と改めて再発足する。 |
昭和43年 | 学生数増加のため、さらに鉄筋3階建新校舎を増築。新たに書道科を新設する。 |
昭和45年 | 大阪ナンバに「よしかわきものカレッジ」を開設。同時に着付科を新設。 本校にも着付科を新設し、日本女性として心得るべきすべてのものを完備。 |
昭和46年 | 初代理事長吉川喜多郎、長年にわたる教育への功績により勲五等雙光旭日章を受ける。 |
昭和46年 | 副校長吉川志津子、労働省認可和裁国家試験技能検定委員に就任。 |
昭和49年 | 二代目理事長に吉川啓就任。 |
昭和51年 | 学校教育法改正により4月1日、専修学校法による専門学校への昇格を認可される。 本校のレベルが法的にも認められ、校名を奈良和裁専門学校・奈良洋裁専門学校と改称する。 |
昭和52年 | 最新鋭を誇る鉄筋建校舎を新築落成。教育設備の充実をはかる。 |
昭和55年 | 鉄筋6階建の現代的な校舎完成。 |
昭和57年 | 副校長吉川志津子、校長に就任。 |
昭和58年 | 服飾界のニーズに応え、より専門化されたテクニカルコース、きものコンサルタントコース、ファッションデザインコース、スタイリストコースを開設。 |
昭和59年 | カリキュラムの一層の充実のためジャズダンス・ビジネスマナーの講座を新設。 |
昭和60年 | 和裁・洋裁両校にコンピュータを導入し、イメージ・パフォーマンスの授業を開始。和裁専門学校で授業の一環としてのコンピュータの使用は日本初であり、これにより、日本一の和裁専門学校としての評価が確立される。 |
昭和61年 | 校名を奈良きもの芸術専門学校に改称。これを機に和裁を技術から芸術へ高める教育システムの確立に努める。 |
平成元年 | 現校長吉川志津子、労働大臣から技能検定(国家検定)委員としての功績により功労賞受賞。 |
平成4年 | 初代校長吉川シオ、長年にわたる教育への功績により勲六等寳冠章を受ける。 |
平成8年 | きものビジネス学科新設。 |
平成10年 | 前理事長吉川啓、多年の教育振興への功績により藍綬褒章を受ける。 |
平成14年 | 三代目理事長に吉川志津子就任。 |
平成18年 | 現校長吉川志津子、2月に服飾教育文化章受章。 |
平成30年 | 創立90周年を迎える。 |